丸山豊について

 久留米市が生んだ日本現代詩における代表的な詩人の一人。
 少年時代から詩を作り始め、詩誌「ポエム」等に参加。学生時代に詩集「玻璃(はり)の乳房(ちぶさ)」を刊行しました。

 戦中は、軍医として激戦地を転戦。戦後は、医院を開業する傍ら、詩誌「母音(ぼいん)」を刊行するとともに、戦争体験を主題とした随筆「月白(つきしろ)の道」を出版しました。
 現代日本における叙情詩の世界で輝かしい業績を残しただけでなく、久留米で現代詩研究会を長年主宰。未来の文学界を担う後進の育成にも努め、久留米地域の文学振興に多大な貢献をしました。また、昭和24年に創設された久留米の文化関係者による連合組織・久留米連合文化会の設立発起人としても活躍しました。

 その他にも、今なお歌い継がれている、合唱組曲「筑後川」や、市内をはじめ数多くの学校の校歌等の作詞も手掛けるなど、その才能を広く発揮しました。
 こうした功績が高く評価され、第1回久留米市文化章(1973年)、第33回西日本文化賞(1974年)を受賞しています。